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「一つの中国」とは何か。台湾と中国の歴史を徹底解説

「一つの中国」とは何か。台湾と中国の歴史を徹底解説

1971年まで、米露をはじめ戦勝5大国で作る国連安保理の議席には、「台湾」が座っていた。
今日、私たちが考える「中国」が安保理の議席を得たのは、第二次世界大戦から30年近くが経過してからのことだ。

ーーー「台湾」は「中国」の一部であり、「国家」ではなく「地域」に過ぎない。

現代において、このことに異を唱える者は少ない。
多くの日本国民も、今や当たり前のように台湾を中国の一部であると考えている。

しかし、2015年の世界GDPランキングでは、「台湾」は、タイに次いで21位に位置する「経済大国」だ。
その人口は2300万人を超え、ベルギーやポルトガルの2倍である。
そして、「台湾」には独自の「政府」が存在し、「中国」から一度たりとも実効支配を受けたことはない。

「台湾」は、あまりにも「国家」らしい「地域」なのである。

次期米国大統領のドナルド・トランプが、12月2日に台湾の蔡英文総統と電話会談したとき、世界は度肝を抜かれた。
第二次世界大戦以降、絶妙なパワーバランスの中で形作られてきた国際社会の究極の「不文律」を、アメリカが破壊するのか。
中国は激しく反発し、国際社会は無鉄砲なトランプが「台湾カード」をどう使うのか固唾を飲み見守っている。

この衝撃を理解するには、中華民国と中華人民共和国という二つの政府が、「中国」を巡り争った長い内戦の歴史を振り返らなければならない。
そこで今回は、時間をさかのぼり、今日の「台湾」と「中国」の関係性が作られた歴史を、できるだけ分かりやすく、様々な資料やデータとともに振り返る。

「台湾」とは何者なのか。
なぜ誰も「台湾」を「国家」と呼ぶことができないのか。
日本はいかなる立場を採るべきなのか。

資本主義と共産主義、西側と東側、そして国際連合と戦後体制。
歴史が生んだ「台湾」という特殊な存在を紐解いていく。




あまりにも「国」らしい「地域」

ニュースや新聞などで、例えば「日本の映画〜が、世界30の国と地域で公開されました」といった言い回しを耳にすることがあるだろう。
この時、「世界30カ国」と言えばいいのに、わざわざ「30の国と地域」と呼ぶには理由がある。

実態としては、あたかも国であるかのような独立性・独自性を有しているのにも関わらず、「国」と呼ぶことができない”大人の事情”がある政治体が、世界にはいくつか存在しているのだ。

その最たる例が、「台湾」すなわち「中華民国」である。

国家承認と台湾

Taiwan diplomatic recognition

世界には、日本が「国家」と認めている国が196カ国存在する。
その196カ国のうち、わずか22カ国のみが、中華民国のことを「国家」であると認めている。

この記事の執筆中の2016年12月21日、中華民国の承認国の一つである「サントメ・プリンシペ」が、中華民国と断交することを発表した。これにより、中華民国の承認国はさらに減って、21カ国になるものと思われる。

相手を国家と認め、大使館を設置するなど正式な外交関係を築くことを「国家承認」と呼ぶ。
現在、日本やアメリカをはじめとする世界の大多数の国は、中華民国を「国家」として承認していないため、大使館も設置していないし、台湾とは条約などの国家間の約束も交わせないことになっている。

なぜ、多くの国々は、中華民国を国家として認めないのか。
それは、中国本土を支配している「中華人民共和国」を、中国を代表する正式な政府であると考えているためだ。

このように、2つの政府のうち1つだけを正式な国家として認めることを、国家承認ではなく「政府承認」と呼ぶ。
すなわち、二つの国家があると考えるのではなく、「どちらが本当の中国なのか」という形で、「中華人民共和国」と「中華民国」を捉えるのである。

「政府承認」が問題となる典型的なケースは、国内に2つの勢力が存在した時、それぞれが独立国となるのではなく、内戦などで2つの勢力の両方が、自分たちの正当性を主張している場合である。
中国における内戦の歴史は後述するが、「中華民国」と「中華人民共和国」が内戦を戦い、それぞれが自分たちこそ「中国」だと主張していたために、世界の国々はどちらか一方を選び、「政府承認」することになったというわけだ。

日本を含む大半の国々が、「中国」の代表を、習近平が率いる「中華人民共和国」として承認しているわけだが、中国における内戦と言っても、はるか昔の話である。
今日においてさえ、本当に中華民国は「国家」とは呼べないのだろうか?

そもそも「国家」とは何か

そもそも、「国家」とはどんなものを指すのだろうか。
国際法の世界では、「国家」と認められる条件は、以下のようなものであるとするのが一般的だ。

国家の権利及び義務に関する条約(モンテビデオ条約)

第1条 (国家の要件)
国際法人格としての国家は、次の要件を要する。

  1.  永久的住民
  2.  明確な領域
  3.  政府
  4.  他国と関係を取り結ぶ能力

冒頭で紹介したように、台湾の人口は2300万人を超えており、世界的に見ても比較的大きな「永続的住民」を備えているように思える。また、台湾島という「明確な領域」に実効支配を敷いており、中華人民共和国から一度たりとも実効支配を受けたことはない。そして、日本と同じような民主的な選挙が行われ、独自の「政府」が存在しており、日本やアメリカなどと事実上の政治的・経済的「関係を結ぶ能力」を有している。

このように、「台湾」はあまりにも「国家」らしすぎるため、これを「地域」と呼ぶのであれば、もはや日本も「地域」に分類すべきであろう。

ここからは、これほどまでに「国家」たる要件を満たしている台湾が、「国家」になれない”大人の事情”を紹介していくことにしよう。

「台湾」を生んだ歴史

Mao zedong

台湾が、今日のような地位を築くに至った経緯を知るためには、日中戦争まで時間を遡り、中国本土における毛沢東と蒋介石という二人の支配者の戦いの歴史を振り返らなければならない。

日本はどちらの「中国」に対し降伏したのか?

1937-1945年にかけて、蒋介石率いる国民党の「中華民国」は、中国大陸本土を支配しており、米英の支援を受けつつ日中戦争を戦い、戦勝国となった。
つい忘れがちなことであるが、日本が先の大戦において敗れたのは、今日の中国を支配する「中華人民共和国」ではなく、台湾を支配する「中華民国」である。

したがって、二次大戦の直後に日本が戦勝国との間で結んだ様々な文書は、蒋介石の「中華民国」を相手方にしたものであったし、戦勝国で作る国連安保理の構成国は「中華民国」であった。

例えば、教科書に必ず登場する、第二次世界大戦中に示された「カイロ宣言」は、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、中華民国の蒋介石によるカイロ会談を経て発せられたものだ。
カイロ宣言の中でも、明確に「中華民国」に日本が領土を返還すべきことが記されている。

1943年 カイロ宣言

“It is their purpose … all the territories Japan has stolen from the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and The Pescadores, shall be restored to the Republic of China
”同盟国[アメリカ、イギリス、中華民国]の目的は、…… 満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての領地を中華民国に返還することにある。”

カイロ宣言は、1945年に日本が受諾したポツダム宣言の中で、その内容を踏襲すべきものとされた。
当然のことであるが、日本は中華民国に敗れ、中華民国に台湾を返還したのである。

1945年受諾 ポツダム宣言

1. We-the President of the United States, the President of the National Government of the Republic of China, and the Prime Minister of Great Britain, representing the hundreds of millions of our countrymen, have conferred and agree that Japan shall be given an opportunity to end this war.
1.我々合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣は、我々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与えることで一致した。

8. The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoku and such minor islands as we determine.
8.カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。

しかし、日本が全面降伏した翌年の1946年より、中国国内で、蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党との内戦が再び激化してきた。
1949年には、蒋介石ら国民党は国内での勢力争いに敗れ、中国大陸本土から台湾島に逃げ込む事になってしまった。

同年、中国共産党が樹立を宣言した「中華人民共和国」が、中国大陸本土を支配し、自らを唯一の「中国」と名乗った。
しかし、台湾島に逃げ込んだ「中華民国」も、自らを唯一の「中国」と名乗ることになった。

中国大陸と台湾島の両方に、自らが「中国」の支配者であると主張する政府ができてしまった。

ここから、アメリカなど西側の民主主義国が支える「中華民国」と、ソビエトを筆頭に東側の社会主義国が支える「中華人民共和国」の、長い長い「中国」を巡る戦いが始まっていく。

「一つの中国」を巡る闘い

「一つの中国」論とは、中国という国家はただ一つだけであり、その正統政府が「中華人民共和国」か「中華民国」か、という形で諸問題を考える立場である。
すなわち、国家承認ではなく政府承認について議論をすることになる。

蒋介石ら国民党が台湾島に逃げ込んだ後の時代、特に問題になったのは、国連における「中国」の議席に、国民党と共産党どちらの政府が座るべきなのかという問いである。

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国民党は、台湾島に追いやられたとはいえ、「中国」の正当な政府は自分たちであり、いつの日か大陸を取り戻すと息巻いていた。
当然、日本との戦いに勝利したのは自分たちなのだから、国連総会や、国連安保理に、「中国」として出席すべきなのは国民党の「中華民国」であるというわけだ。

これに対し、共産党は、今や中国大陸全域を掌握しており、「中国」と呼ばれる領土の大半を占めているのだから、自分たちこそが「中国」であって、わずかな領域である台湾島に追いやられた国民党は、もはや国家の体を成していないと主張した。

社会主義国であったソビエト連邦などは、「中華人民共和国」を支援し、「中華民国」を国連から追放し、その席に「中華人民共和国」を座らせようという議案が、繰り返し国連総会に提出されるようになった。

二次大戦直後こそ、多くの国が「中華民国」を国家として承認していたが、実際問題として中国本土を支配しているのは「中華人民共和国」であることは明らかで、徐々に「中華人民共和国」を国家承認する国が増えていった。

中華民国が国際連合を去った日

United nations

アメリカや、アメリカを支持する西側諸国は、社会主義への対抗を掲げ、「中華民国」を守るために必死になった。
国連総会で、「中華民国」を追放する議案が決議されてしまわないよう、あの手この手を使って妨害工作を行ったのだ。

まず、第6回の国連総会において、アメリカに支持されたタイが、いわゆる「棚上げ」案を国連総会に提出した。
これは、「中国」を誰が代表するかという議題を、国連総会で取り上げないものと定め、それに関する如何なる審議も延期するという議案だ。

「棚上げ」案は、1951年の第6回国連総会で無事議決されて以来、1960年の第15回総会まで、毎年議決され続けた。
第6回総会では賛成37に反対11と、当初は余裕で議決されていたが、第15回総会では、賛成42に反対34となり、かなりギリギリになってしまった。

そこで、アメリカが新たに編み出した秘策が、「重要事項指定方式」と呼ばれる裏ワザだ。
これは、国連憲章18条が定める国連総会の評決方法のうち、単なる多数決ではなく、より確保が難しい3分の2の賛成が必要になる“important questions(重要事項)”に、「中国」の代表権問題を指定してしまうものだ。

この方法も、10年間は乗り切ることができたものの、1970年の第25回総会では、賛成66に対し反対52と拮抗するようになり、もはや「中華民国」を国連にとどめ、「中華人民共和国」を排除し続けることは難しくなってしまった。

そして、ついにその時がやってくる。
1971年の第26回国連総会で、アルバニアを始めとする23カ国が、「中華民国」を追放し、「中華人民共和国」の代表権を承認する決議案を提出。アメリカの抵抗むなしく、76カ国が賛成し、ついに議決されてしまったのである。

こうして、「中華民国」は国連を去り、「中華人民共和国」が国際社会の一員として国連に参加することになった。

今日の「中国」は、「中華民国」のあらゆる権益を「中華人民共和国」が引き継いだ上で、台湾に存在する政府は他国の政府などではなく、自国の一部の地域を統治している地方政府であると位置付けている。
国連総会、国連安全保障理事会の議席はもちろんのこと、カイロ宣言及びポツダム宣言で日本が台湾・澎湖諸島を返還した「中華民国」 の地位を、中華人民共和国が継承したということだ。

「二つの中国」という試み

「二つの中国」論は、台湾は中国(中華人民共和国)の一部ではないという解釈に基づき、「中華民国」と「中華人民共和国」という二つの国が存在しているとする議論だ。
たとえ中国本土を「中華人民共和国」が支配しているとしても、対日平和条約には、台湾の権益の受益国が明記されていないことから、台湾の帰属はいまだに法的に不明確であり、台湾は「中華民国」の領土と考えることができるとする説である。

こう考えることで、国連安保理に「中華民国」を引き続き座らせておき、「中華人民共和国」という別の国が国連に新規加盟するという構成が可能になる。
民主主義国である「中華民国」に国連安保理で強力な権限を持たせ、共産主義国である「中華人民共和国」を単なる一加盟国として扱ってしまうことができるため、アメリカや日本など西側諸国にとって非常に都合がいい構成だ。

例えば、日本の国際法学者である大平善梧(1905-1989)は、1961年に、「二つの中国は神話ではない」と題して次のような論考を発表した。

大平善梧「二つの中国は神話ではない」『自由』三巻五号(1961)

[台湾の地位は、]一九五二年の日華平和条約 、および一九五四年の米中相互防衛条約の締結によって特殊なものに補強された。ここで、米国と日本との関係においては、台湾の領有権は国府[中華民国]に帰属することが判然としてきた。

……台湾・澎湖諸島については、中共[中華人民共和国]は今までに現実に支配を及ぼしたこともなければ、又政府として権利を取得したこともない。

しかしながら、当時の国連で、「二つの中国」案が実際に決議されることはなかった。

中華民国も、中華人民共和国も、ともに「一つの中国」を主張しているという点では一致していたため、「二つの中国」論は、当時の状況では非現実的なものであったからだ。

「中華人民共和国」にとって、国連に新規加盟申請をすることは、「中華民国」の存在を認めてしまうことになるため、絶対に取ることができない選択肢だ。
しかも、もし万が一「中華人民共和国」が新規加盟申請したとしても、新規加盟に対しては安保理が拒否権を有しているため、「中華民国」が拒否権を発動してしまう。

どうやっても、国連に二つの中国が存在している状況を実現できなかったのだ。

こうして、国連から追放される形で「中華民国」は国際社会の舞台から姿を消し、「中華人民共和国」という一つの政府だけが、中国の正当な継承者として国連総会、そして安保理の議席を得るに至ったのである。

台湾は、もはや「中国」ではない新しい「国家」だ

こうして、1971年に国連総会から追放されて以来、中華民国は、いわばニセモノの中国として、中華人民共和国の「地域」へとその地位を落とすことになる。
そのような状況になっても、台湾は長らく自らこそが本当の中国であるとの主張を行なっていたが、2000年代から論調に変化が生じ始める。

中華民国は「中国」ではなく、もう一つの全く別の「国家」である、との主張である。
「一つの中国」でも「二つの中国」でもない、新たな原則を、台湾自身が主張し始めたということだ。

「一つの中国、一つの台湾」を主張する台湾内の変化

2000年から2008年まで中華民国の総統の座を務めた陳水扁(民主進歩党)は、2007年に史上初めて、国連への「台湾」名義での正式な加盟申請を行った。

それまでの李登輝総統(国民党)政権では、「二つの中国」の立場をとり、国交のある国を介して、1993年から毎年国連総会に中華民国としての加入問題を議論するよう求めていた。
これに対して、陳水扁の主張は、「中国」としての立場を争うのではなく、全く新しい「台湾」という国家として承認を求めるという画期的なものだ。

しかし、この加入申請に対して、国連事務局は「国連総会第2758号決議(※1971年のアルバニアによる決議)によって、台湾が中華人民共和国の一部であるとされた」ことを理由に台湾の申請を拒否した。
これに対して台湾側は、アルバニア決議は「『台湾は中国の一部である』とは述べていない」と反発した。実際、決議の中では必ずしも台湾の帰属について明言されていないことから、事務局で門前払いにされることに反発するのは当然かもしれない。

陳水扁は、前政権である国民党を批判しつつ、次のような主張を行なっていた。

民主進歩党と中国国民党の最も大きな違いは、前者は「一つの中国」を捨てることを主張し、後者は「一つの中国」の古い考え方を固守しようとしていることである。……「一つの中国」とは当然ながら中華人民共和国である。
中国は国連で議席を持っているが、2300万の台湾の国民の国連における代表権は解決していない。いま議論すべきことは、2300万の台湾の国民の国連代表権の問題である。

台湾週報「陳水扁総統、再度国連事務総長へ国連加盟申請の書簡を提出、不受理となる」

特徴として、台湾の人民の権利を掲げ、国際社会における不平等の解消を求めている点が挙げられる。
それでは、「2300万の台湾の国民の国連代表権の問題」は、なぜそれほどまでに重要なのだろうか?

「国家」でないことにより、台湾の人々にもたらされる様々な不利益

「国家」でないことによって、そこに住む人々は、多くの不利益を被ることになる。

例えば、WHO(世界保健機関)など、保健・衛生に関する重要な国際会議にも、参加することができない。
国連で国家として認められていないことにより、保健衛生から気候変動に至るまで、台湾に住む2300万人の人々を全く無視した状態で国際的な意思決定がなされることになるのだ。

こうした不利を少しでも解消するため、様々な試みが行われてきた。その一つが、国家ではなく、「オブザーバー」として国際会議に参加することである。
例えば、2009年、台湾は世界保健機関(WHO)の年次総会に「オブザーバー」として初めて参加した。
台湾が、国連主要機関の会合に参加するのは、1971年の国連脱退以来、実に38年ぶりのことであった。

それまでは中国の反対で参加することができなかったが、中台融和を掲げる馬英九政権が2008年春に発足したことで、中国側が軟化して実現したものである。

民主的な制度によって国の代表を選び、国内統治だけでなく、国際社会に対して自分たちの声を届ける。
日本では当たり前のことが、台湾の人々には保障されていない。

自分たちが選挙したわけでもなく、一度たりとも支配されていないいわば「他国」の政府である中華人民共和国の一存によって、国際的な地位が左右されてしまうのだ。

国連でパレスチナに与えられた地位を台湾にも与えよ

台湾の類似の事例として、パレスチナがある。
パレスチナは、ユダヤ人によって建国されたイスラエルとの長い戦いの末に、多くをイスラエルの支配下に置かれ、ごく一部の地域のみで自治を認められた政府だ。アメリカなどの反対によって、「国家」としての地位を認められず、自治区としての地位に甘んじてきた。

パレスチナは、2011年9月に「非加盟国」として正式に国連に加盟申請を行ったものの、安保理を構成する米国が拒否権を行使すると明言したため、その申請は安保理で審議されないまま棚上げされてしまっていた。

そこでパレスチナは戦略を切り替え、安保理の承認を得る必要がない「オブザーバー国家」という枠組みを生かして、2012年の第67回総会で承認された(日本もこれに賛成した)。
米国の拒否権行使による妨害を回避し、国家としての立場を国際社会に認めさせた事例であるといえよう。

「オブザーバー国家」は、総会決議によって国家としての地位を象徴的に認めるもので、あくまで国連加盟国としての地位はない。
しかし、加盟申請とは異なって安保理での承認を得る必要がないということが、加盟することができない国々にとっては非常に重要な点であるといえよう。

これを応用することで、中華人民共和国の拒否権による妨害を避けつつ、国連に台湾という「国家」として参加することが叶う道筋もあるように思われる。

台湾人民2300万人の代表の行く末

もちろん、「オブザーバー国家」としての承認でさえ、容易に叶うものではない。
パレスチナは、2011年時点で国連加盟国の半数を優に超える139カ国により国家承認をなされていたが、中華民国の承認国はそれよりもはるかに少なく、現時点で賛同してくれる国家はほとんどないだろう。

しかし、WHO年次総会へのオブザーバーとしての参加についても、1997年に最初の申請を行っており、2009年にオブザーバー参加が達成されるまで長い年月を要した。
長年認められなかったWHO年次総会へのオブザーバー参加が認められたように、国連へのオブザーバーとしての参加の試みを開始し、そして続けることによって、いつしか「台湾政府」としてその地位を認められ、「1つの中国、1つの台湾」が実現する時が来るのではないか。

参考文献

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  • 落合淳隆「国連における代表権承認の基準–中国代表権問題に関連して(特集・地域)」『海外事情』17巻9号(1969), p9-18
  • 湯浅成大「冷戦初期アメリカの中国政策における台湾」『国際政治』118号(1998), p46-59

About The Author

nipponomiaCo-Founder, Writer小松明
平成生まれ。神奈川出身。
米国でパブリック・アイビーの一つに数えられる州立大学への留学を経て、某旧帝大を次席で卒業。TOEIC満点。現在はNGO勤務。

英語の読解力にはかなりの自信があり、海外の学術論文からテック系ニュースまで、日々情報収集している。
主要な関心は日本、英米の社会保障制度。

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